こんなことがありました。

「東日本大震災」追悼放送集会

3月11日(木) 今日は、10年前に「東日本大震災」があった日です。「14時46分」、三島町防災無線から流れるサイレンを合図に、各教室で犠牲者に黙祷を捧げました。

 あれから、「もう10年」なのか、「まだ10年」なのかは、人それぞれかもしれませんが、福島第一原発事故が続いている福島県にとっては、まだまだこれからもずっと、向き合わなければならない日です。

 子どもたちには、放送で次のように話しました。少し長いですが紹介します。

○「東日本大震災」追悼放送集会

 これから東日本大震災のお話をします。皆さんは手元にある「東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故を振り返り、3.11に学ぼう」のリーフレットを見ながら話しを聞いて下さい
 今から10年前、2011年3月11日14時46分、東日本に大きな地震がありました。地震の大きさはマグニチュード9、県内の最大震度は6強、宮城県では震度7のところもありました。歩くどころか立っていることもできない大きな地震です。大きな揺れが3分間以上も続き、建物が崩れたり、火災が発生したりしました。そのすぐ後に、大津波警報が太平洋側に出ました。そして、海岸近くの建物などを10mを超える津波がのみ込んでいきました。10mの津波は、学校の3階の高さです。
  この地震や津波で多くの方が無くなりました。死者と行方不明者は1万8425人です。三島町の人口が1600人ほどですから、その10倍の人が亡くなったことになります。、また、避難生活などで亡くなった「震災関連死」は3700人以上で、「関連死」を含めた死者と行方不明者は2万2200人にのぼります。
  裏面を見て下さい。 しかし、福島県では地震や津波だけではありませんでした。双葉町と大熊町にまたがって作られていた福島第一原子力発電所が津波でこわれ、私たちの体に大変有害な放射性物質が漏れてしまったのです。双葉町・大熊町・浪江町など近くに住んでいた人たちは、地震や津波の後片付けもできないまま、行方不明になっている人を探せないままに、遠くに避難しなくてはならなくなったのです。避難生活は、まだ続いている人がたくさんいます。福島第一原子力発電所の事故はまだ終わっていません。一生懸命に廃炉に向けて取り組んでいます。人類が経験したことのない重大事故なので、簡単にはもとにもどらないのです。
 3月11日は、東日本の人たち、特に福島県の人にとっては、忘れてはいけない日になりました。
 私たちは、改めて、普段から防災意識を高めて災害に備えたり、避難訓練を行ったりしなければならないと考えます。また、原子力発電所の事故を教訓に、安全で安心できる施設・設備を作らなければなりません。
 皆さんは、今日、家に帰ったら、家族に東日本大震災の話を聞いてみて下さい。そして、家庭でも防災について考えるきっかけにしてほしいと思います。
 これで、東日本大震災についてのお話を終わります。