東日本大震災から11年の今日、校内放送を通して「東日本大震災の追悼集会」を行いました。町の防災無線によるサイレンに合わせて犠牲となられた方々に黙とうをささげ、続いて校長講話を行いました。
《追悼集会講話》
東日本大震災から11年が経ちました。今日は、皆さんに改めて知ってほしいこと・考えてほしいことがありますのでお話をします。
今から11年前の、2011年3月11日、14時46分、東日本に大きな地震がありました。震源からは、だいぶ離れたこの会津地方でさえ、恐怖を感じる大きな地震でした。大きな揺れが3分間以上も続き、浜通りや中通り地方では、あちらこちらで建物が崩れたり、火災が発生したりしました。そのすぐ後に、大津波警報が太平洋沿岸に出ました。そして、福島県、宮城県、岩手県などの広い範囲で、海岸近くの建物などを10mを超える津波がのみ込んでいきました。10mの津波は、学校の3階の教室にもゆうに水が入ってくる高さです。この地震や津波では、多くの方が亡くなりました。死者と行方不明者の数は、1万8425人にもなりました。
さらに、福島県の被害は、地震や津波だけではありませんでした。双葉町と大熊町にまたがって作られていた福島第一原子力発電所が津波の被害を受け、人の体に大変危険な放射性物質が風に乗って福島県の広い範囲に広がりました。双葉町・大熊町・浪江町など近くに住んでいた人たちは、地震や津波の後片付けもできないまま、行方不明になっている人を探せないままに、遠くに避難しなくてはならなくなりました。一番多い時で、県全体で約16万人という数の方々が、避難生活となりました。避難生活は、今もまだ続いている人がたくさんいます。その数は、福島県内に6千7百人、福島県外に2万7千人、合わせると約3万3千人以上の人がまだ避難生活のままだということです。
福島県の復興は、まだ途上です。避難指示区域が解除になって、町ができる、学校ができるといったニュースも聞かれるようになりましたが、復興・再生の歩みは、まだまだ困難な道のりです。放射能の影響で人が立ち入ることのできない場所がたくさんあったり、元の場所に戻って住みたいけれども、そこはまだ危険なので住むことができないという人がたくさんいます。放射線や風評の被害などによって、漁業や農業などの仕事を震災前と同じように行うことも、まだできないという方々もいます。
東日本大震災から11年がたちましたが、皆さんは、これからもテレビやニュースを通じて、震災に向き合い、乗り越えようとする人たちの姿を見たり聞いたりして、たくさんのことを感じ取ったりすることと思います。
ぜひ、三島小学校の児童の皆さんには、そうした頑張っている多くの人たちに学んで、自分たちも震災の教訓を生かしながら、福島県の未来を力強く作っていく一人となってほしいと思います。
今日は家に帰ったら東日本大震災のことについて、おうちの人にも話を聞いてみてください。
これで、3月11日についての校長先生からのお話を終わります。
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